最終号
■発行日・・・2025年12月1日
想いのままに
長嶋茂雄さんが6月に逝去されました。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。拙著1)にも記していますが、私は幼児から18歳の夏まではプロ野球選手を目指す少年でした。私を含め、昭和30年〜40年代生まれの野球少年が憧れたプロ野球選手の代表は、長嶋さんや王貞治さんといっても過言ではないでしょう。また、私にとってはアニメの『巨人の星』の主人公である<星飛雄馬>も記憶に残るヒーローでした。最近の子供たちの憧れの野球選手は、大リーガーの大谷翔平さんがトップに挙げられると思います。
そのような私が、バドミントンの世界に足を踏み入れたのは高校3年生の秋のことです。夏の全国大会北関東大会の決勝戦で敗れた直後、今後の目標を失った私は野球以外のスポーツ種目を新たに選び、「保健体育」の教員を目指すことにしました。バドミントンを選んだ理由は定かではないのですが、単純に集団スポーツではない個人スポーツを行ってみたかったからだと思います。ただし、小学校から高等学校まで体育の授業でバドミントンを行った記憶が全くありません。記録によれば、当時のバドミントン界は、男子はインドネシアがトマス杯を連覇中、女子は日本がユーバー杯を連覇中でした。おそらく、テレビ中継や新聞の記事を見て、バドミントンに興味を持ったのではないかと思います。そのためか、高校3年生の秋、群馬の山奥(*高校入学から3年生の1学期までは1人住まいで自炊生活をしていました。夏の大会が終わり、2学期からは実家から通学するようになりました。)から、東京の代々木第2体育館?までバドミントンの世界大会を観戦に行きました。初めて本格的な競技バドミントンを観ましたが、中でもインドネシアのリム・スイキン選手のジャンピングスマッシュは、素人目にみても大変ダイナミックで素晴らしいものでした。以来、私の中でのスーパースターは彼になりました。
大学では迷わずバドミントン部に入部しました。しかしながら、当該運動部にはバドミントンの専門的な指導者はいませんでした。そのため、先輩や同期の経験者が初心者の私たちを指導してくれました。当時は、バドミントンに関する書物もほとんど出版されていなかったので、言われるまま、見よう見まねをしながら技術を習得していったように記憶しています。野球で培った強肩と幼年期から鍛えた持久力には自信がありました。しかし、バドミントンで必要な敏捷性(アジリティ)や予見力(アンティシペイション)とバドミントン的センスのなさが競技力向上につながらなかったようで、競技者としては顕著な成績を残すことができませんでした。
中学校保健体育教員を目指して勉学を続けた甲斐があり、現役で群馬県公立学校教員採用試験に合格しました。しかしながら、教育委員会からは小学校に赴任するようにいわれました。3年間の勤務後、退職して大学院(修士課程)で学ぶことを選びました。修了後は、保育専門学校や短大・大学等で非常勤講師など10年間勤めました。その後、縁あって大妻女子大学に9年間、共愛学園前橋国際大学に18年間(2013年10月〜2016年9月まで、現職のまま大学院博士後期課程で学びました)専任教員として勤めました。プロ野球選手の夢が破れ、バドミントンの世界に足を踏み入れ、およそ半世紀が経ちました。曲がりなりにもバドミントンの指導者として食べていくことができているのも、多くの方のご支援やご協力があったからだと思っています。もう少しの間、大学の非常勤講師等でバドミントンを教えていくことができれば幸いです。
文献
1)岸 一弘(2019)バドミントンの理論と実技 初歩から基礎技術の指導まで. 大学教育出版:岡山.